2012年1月7日土曜日

元旦新聞と手塚治虫と私

毎年、元旦の朝にはずっしりと重い新聞が届く。
もう新聞取るのやめようかと何度も思うけど、元旦の新聞は「特別な日」という気がして好き。
普段と違う企業広告や、どことなく家庭寄りの特集を見るのは楽しい。
そして元旦の新聞を読む度に思い出すことがある。

子供向けの『朝日小学生新聞』で、マンガの神様・手塚治虫とマンガ家を目指す子供たちの座談会があった。
今からもう30年ほど昔のことだ。
手塚先生に対し、マンガ家を目指す小学生は5人。その1人が当時小5の私だった。

小さい頃から絵を描くのが好きだった私は、小4くらいから子供向けの雑誌にイラストを投稿するようになっていた。
投稿はたいてい「読者欄」で、投稿すればほぼ100%で誌面に掲載される。
印刷された自分の絵を見るのは不思議な感覚だったし、掲載されると図書券や限定グッズがもらえるのもうれしかった。

『朝日小学生新聞』も親としては私の受験対策と思ったのだろうが、
私のほうは受験勉強の合間に描いたイラストをバンバン投稿する「媒体」のひとつだった。
何度か掲載されて「イラスト投稿の常連」になった頃、新聞の編集部から座談会企画の連絡があった。

当日呼び出されたのは関東近辺に住む小5と小6の「常連」男子女子5人。
お互い会うのは初めてでも、絵を見れば「あ、この絵の人」とわかる。
今でいうオフ会のようなもの ?  すぐに好きなマンガ家などの話で打ち解けた。
編集者に引率されて手塚プロの待ち合い室に入ると、何枚か原画が飾ってあった。
「うわぁ、やっぱり上手いな」(失礼すぎる…)
「見て!このホワイト、筆どんなの使ってるのかな」(偉そう…)
「 オレこんなにきれいに集中線描けないよ」(アシさんが描いてるハズ…)
原画を見ながらオタク的会話で興奮状態となった小学生は、いよいよ「マンガの神様」と対面するために別室へ移動した。

そこにはベレー帽をかぶったお馴染みの姿で神様・手塚治虫がいた。
座談会だからカメラマンも入って、さすがに私たちも大人しくなった。
神様はひとりひとりの投稿の絵を見ながら、緊張をほぐすように質問をしてくれた。
自分のお子さんが描くマンガエピソードも織り交ぜた神様の話はおもしろく、あっという間に時間が過ぎてしまった。
神様はまとめのような感じでにこやかに
「君たち、将来はマンガ家になりたいの?」
と質問した。これには全員が「なりたい!」と威勢よく答えた。
次の瞬間、手塚治虫は40歳ほど年の離れた私たちに真顔で言った。
「そう、がんばりなさい。でもね、君たちには負けないよ。」

帰りの地下鉄で私たち5人の小学生は同様に熱い想いを抱え、口数は少ない。
「負けない、って言われたね」
「オレ絶対ホントにマンガ家になる」
全員がマンガの神様に会ったことよりも、自分の絵を褒められたことよりも、
「手塚治虫に、対等にライバル宣言された」
ことに感動していたのだ。
震えるほど嬉しい反面、手塚治虫の一番すごい所を見た気がして「かなわない」とも思った。


元旦の朝、分厚い『朝日小学生新聞 ・新年号』が届いた。
座談会ページは見開きで、事前に参加した5人がそれぞれ「お正月」のお題で描いたイラストも掲載されていた。
中央には「マンガの神様・ 手塚治虫とマンガ家を目指す小学生5人」の和やかな対談風景。
しかし思い出すのは私たちを子供扱いせず、「負けない」と 言ったマンガ家・手塚治虫の強烈な印象ばかりだった。

メールも携帯もなかった当時、5人の小学生は連絡先の交換もしないまま別れた。
あの時のメンバーは、今でも絵を描いているだろうか?
受験を終えた私は中学になるとさらに多くの雑誌に投稿してお小遣いを稼ぎ、
ひょんなことから高校でマンガではなくイラストの仕事を始めることになった。
マンガ家にはならなかったけれど、結局あの頃と同じようにいつも紙と鉛筆が側にある。
他の4人は?会社員だろうか? それともデザイナー?? もしかして本当にマンガ家になった?
一体どこで、何をしてるんだろう。
マンガの神様はもういないけれど、もう一度あの時の5人で集まってみたい。

そんなわけで私は元旦の分厚い新聞を、少しセンチメンタルな気持ちで開くのです。